『京の作法』

 

(6)

 

食事
 作法の中で大切な事の一つに食事の作法がある。食べる様子を見ればその人の育ちが判るとさえ言われた。以前の子供には専業主婦の母親がおり、祖父母同居が当たり前だったから、大人の目が行き届いていた。しかし今の子供は塾や稽古通いで忙しく、家族揃っての食事の機会も少なく、食事が終わったら終わったで勉強部屋に引き上げてゆく。
 食事は衣食住の中で生存に拘わる最重要事で、西洋の上流家庭では改まった服装で臨む、一家の大切な儀式でもあった。日本でも正座で食べることが多く、年配者の中には子供の頃食事中笑ったため叱られたという人もあるだろう。
 京の作法であるからには、食事の作法は和食の作法ということになるが、少し本格的になると、「凡そ膳に坐るには、しかと真向きなるは宜しからず、膳を少しく左の膝の方へよする心持にて坐し…」(『大日本百科全書』(大正年間))で始まり、最早今日的でない。それで、この小文では思い切り端折りに端折って「お箸」の作法のみにする。

お箸の作法 基礎編
 お箸はどのような持ち方にせよ、食べ物を挟むことぐらいは出来るが、解(ほぐ)すなど、お箸を広げるには然(しか)る可(べ)き持ち方がある。俗に「箸の上げ下ろし」(「箸の上げ下げ」とも)と言うが、仲居さんたちは客の箸遣いを見ている。一旦身に付いてしまった我流の持ち方を改めるのは容易ではないと思うが、向上心の有る人のために、然る可き持ち方を指南する。以前は、歩き方と同様、そんな事を書いた本など無かったと思う。
 そもそも、我々が食べ物を噛むとき、上顎は固定していて、下顎が上下して咀嚼(そしゃく)する。お箸はその反対で、下の箸が固定していて、上の箸を上下させる。以下、右手で持つ場合を想定している。まず、上の箸は鉛筆の持ち方とほぼ同じ持ち方である。ただし、鉛筆を持つ場合、中指の爪の下の近くで鉛筆を挟むこともあるが、上の箸の場合は中指の爪の左端のところで支える。親指は関節を曲げ、指紋の渦の中心がある指の腹でなく、先端に近いところで箸を押さえる。この持ち方で上の箸だけを持ち、上下させる練習をする。このとき特に上へ上げる(つまり箸を広げる)練習を重点的に行う。すると中指と親指が箸を広げる役割を果たしていることが分かる。次に、下の箸は親指と人差し指の股に挟み、親指第二関節の腹で押さえる。そして薬指の爪の左根本に乗せる。この状態で食べ物を挟まず、下の箸の不動、上の箸の上下運動の練習をする。
 折角試みてはみたものの、初めは指が強ばったり、疲れたりで上手く遣えなく、動(やや)もすれば長年遣い慣れた自分流に戻ってしまう人が有るかも知れないが、成功のコツは、すぐ実践に移らず、「お稽古」を十分にすることだ。実際は意外に簡単なことであり、成功の暁は、宴席で仲居さんや舞妓ちゃんが寄って来ることも期待できるが、一番の収穫は、京料理が一段と美味しく「呼ばれられる」ことだ。

お箸の作法 上級編
 お箸が遣えるように成ったら成ったで、次の作法が有る。以下の箸遣いでは、折角マスターした上手なお箸の持ち方を台無しにしてしまう。

惑い箸 菜を取ろうとして、あちこちの菜に箸を向けること。「迷い箸」とも。
移り箸 飯と菜とを代わる代わる食べずに、菜から菜に箸を運ぶこと。
探り箸 器に盛られている菜の中から、自分の食べたい物を箸で探すこと。
拝(せせ)り箸 箸で菜を突きまわすこと。
空(そら)箸 菜に一旦箸をつけておきながら、取り上げずに箸だけ引いてしまうこと。
銜(くわ)え箸 箸を口に街えて手を離すこと。 
涙箸 箸の先から汁を滴らすこと。
渡し箸 箸を器の上などに置くこと。箸置き(「箸台」とも)に置くのが普通。
刺し箸 菜を箸で突き刺すこと。
揃え箸 二本の箸を食卓の上で立てて先を揃えること。
叩き箸 茶碗を箸で叩いて飯などを催促すること。
舐(ねぶ)り箸 箸を舐めること。
撥ね箸 嫌いな菜を箸で退(の)けること。
寄せ箸 飯茶碗などを持っていて左手が塞がっている場合、箸で菜の器を手元に引き寄せること。
込み箸 口の中に菜が未だ入っているのに次のを入れること。

 以上の箸遣いをしないよう気を付けるようになれば、お箸の作法に関しては立派な紳士・淑女であり、見た目も美しい。


(以下次号)
inserted by FC2 system